御成敗式目をどう読み解くか?:武士のための法律か、武家社会の基盤確立か、その多様な解釈
御成敗式目、その意義を多様な視点から捉える
鎌倉幕府の成立は、日本の歴史において武士による政権が本格的に始まった画期として位置づけられています。その鎌倉幕府が貞永元年(1232年)に制定した法典、それが御成敗式目(貞永式目とも呼ばれます)です。この式目は、後の武家法の基礎ともなった重要な法令ですが、その制定の目的や性格については、いくつかの異なる見解が存在します。
本稿では、御成敗式目について主に二つの異なる解釈を取り上げ、それぞれの根拠を比較しながら、この法典が持つ多面的な意義を読み解いていきたいと思います。一つの史料や出来事も、視点が変わることで異なる側面が見えてくる好例と言えるでしょう。
解釈1:「御家人のための紛争解決法」としての御成敗式目
御成敗式目に対する有力な解釈の一つは、「御家人(鎌倉殿の家臣である武士たち)の間に生じる所領問題などの紛争を裁定するために作られた、武士(特に御家人)に特化した裁判基準」であるというものです。
この解釈の根拠としては、まず式目が制定された背景が挙げられます。承久の乱を経て幕府の支配が西日本にも拡大し、所領を巡る争いが頻発するようになった時期にあたります。当時の公家社会で用いられていた律令や格式、あるいは荘園領主の法などとは異なる、武士社会特有の慣習や道理に基づいた判断基準が必要とされました。
『吾妻鏡』貞永元年八月十日条には、北条泰時らが式目の制定に至った経緯について記した書状の内容が引用されています。それによれば、「道理ある事を明らかにし、罪科を糺明するために定められた」とあり、特に御家人たちが先例や慣習に混乱している現状を解決する意図がうかがえます。また、式目の条文の多くが、土地所有、相続、売買、借金といった、御家人間の経済的・法的な関係に関する規定に割かれている点も、この解釈を裏付ける要素と言えるでしょう。つまり、式目の主な目的は、御家人間のトラブルを迅速かつ公正に解決し、幕府の支配基盤である御家人の秩序を維持することにあった、という見方です。
解釈2:「武家社会の秩序を確立した基本法」としての御成敗式目
もう一つの解釈は、「御成敗式目は、鎌倉幕府が公家法から自立し、武家社会全体に適用されるべき新たな基本法として確立した」というものです。
この見解の根拠としては、式目が単に御家人間の私的な紛争解決に留まらず、より広い範囲に影響を及ぼし、後の武家法の源流となった点が重視されます。式目は、それまでの公家法(律令・格式)に代わる、武士による武士のための、そして武士が主体となる社会の新たな規範を示すものとして制定されました。式目の前文では、律令がすでに廃れており、そのままで現代(鎌倉時代)に適用するのは難しいと述べられており、公家法からの一定の距離や乗り越えようとする姿勢が示されています。
また、式目は御家人だけでなく、地頭が支配する領域の住民にも影響を与えたと考えられます。荘園や公領において、地頭が式目に基づいて支配を行うことで、武家社会の法や秩序が広範に浸透していくことになったのです。さらに、式目の内容は、その後の室町幕府の建武式目や、戦国大名の分国法、そして江戸幕府の武家諸法度などに引き継がれていきます。このことから、御成敗式目は単なる御家人法ではなく、日本の武家社会における基本的な法的枠組みを定める、画期的な法典であったと位置づける見方が可能になります。
異なる解釈の比較と検証
御成敗式目に対するこれら二つの解釈は、それぞれ異なる側面に光を当てています。
「御家人のための紛争解決法」という解釈は、式目が制定された直接的な動機や、条文の具体的な内容、特に御家人に特化したと思われる規定に注目しています。これは、当時の鎌倉幕府が直面していた現実的な課題、すなわち御家人間の所領争いの激化という問題にいかに対応しようとしたか、という点に焦点を当てた見方と言えるでしょう。
一方、「武家社会の秩序を確立した基本法」という解釈は、式目が日本の法制史全体の中でどのような位置づけにあるのか、そしてそれが後の武家社会にいかに大きな影響を与えたのか、というより長期的な視点や、公家法からの自立という政治的な意義に重点を置いています。
なぜこのように異なる解釈が生まれるのでしょうか。一つには、式目の前文や条文のどの部分をより重視するかによって評価が分かれる点が挙げられます。また、式目を単なる個別具体的な紛争解決のための規則集と捉えるか、それとも武家政権の正当性や支配体制を支えるための思想や理念をも含む基本法と捉えるか、といった法哲学的なアプローチの違いも影響しているかもしれません。当時の社会構造が御家人という特定の身分層と、それ以外の広範な人々から成り立っていたことも、どちらの適用範囲をより重視するかという解釈の違いに繋がっていると考えられます。
いずれの解釈も、御成敗式目が鎌倉時代の社会を理解する上で極めて重要な史料であるという点では共通しています。単に条文を読むだけでなく、当時の政治状況、社会構造、人々の慣習といった背景を合わせて考えることで、式目が持つ多様な側面が見えてくるのです。
多様な視点を持つことの重要性
御成敗式目のように、一つの歴史的な史料や出来事に対しても、複数の解釈が存在することは珍しくありません。それぞれの解釈は、特定の史料に基づいたり、特定の視点(例えば政治史、社会史、法制史など)から分析したりすることで導き出されます。
これらの異なる解釈を比較検討することは、歴史を深く理解する上で非常に重要です。一つの見解にとらわれるのではなく、様々な視点を知り、それぞれの根拠を検証することで、歴史上の対象が持つ多面性を捉えることができます。なぜそのような解釈が生まれたのか、どのような史料がその根拠となっているのかを考える過程は、歴史的事実への理解を深め、自らの歴史観を養うことに繋がるのではないでしょうか。
歴史上の出来事や史料は、しばしば複雑な要因が絡み合っており、単純に「これが真実である」と断定することが難しい場合があります。だからこそ、多様な視点からアプローチし、それぞれの解釈の妥当性や限界を理解しようと努めることが、より豊かな歴史理解へと繋がるのです。