古代の条里制、その実像に迫る:『律令支配の基盤』か『計画的な農地開発』か、その多様な解釈
古代の条里制に見る多様な視点
古代日本における土地制度として知られる条里制は、正方形に近い区画(坪)を単位として整然と地割を行うものです。この地割は、現代の地図上にもその痕跡を見ることができる地域が少なくありません。しかし、この条里制がどのような目的で、どのような実態をもって広く展開されたのかについては、複数の解釈が存在します。ここでは、条里制に対する異なる見方とその根拠を比較し、多角的な視点からその意義を考えてみたいと思います。
解釈1:律令支配の基盤としての条里制
一つの有力な解釈として、条里制を律令国家による土地支配と税収確保の効率化を図るための基盤として捉える見方があります。
この解釈の根拠となるのは、主に律令制下で施行された班田収授法との関連性です。班田収授法は、戸籍に登録された人民に口分田を班給し、その収穫から租などの税を徴収する制度でした。条里制は、このような土地の班給・収公を定期的かつ公平に行うために、土地を計測・区画し、登録・管理を容易にするための整備事業であったと考えられます。
当時の輸租帳や正税帳といった記録には、条里制における計量単位である町・段・歩に基づいた土地の面積や収穫量が記されています。また、『日本書紀』などの史書には、国司や郡司が田地を班給・検定した記録が見られます。これらの史料は、条里制が律令国家の土地管理システムと密接に結びついていたことを示唆しています。つまり、条里制は、国家が人民と土地を把握し、安定的な税収を確保するための、いわば「見える化」であり、律令支配を支える重要なインフラであったと解釈されるのです。
解釈2:計画的な農地開発としての条里制
これに対し、条里制を未墾地の開発を促進し、農業生産力を向上させるための計画的な農地開発事業としての側面を重視する見方もあります。
この解釈の根拠としては、まず条里制の遺構が、必ずしも古代に人口が集中していた地域だけでなく、比較的新しく開墾されたと考えられる地域や、開発が困難な地域にも見られる点が挙げられます。もし単なる既存田地の再区画・管理が目的であれば、このような広範囲への展開は説明がつきにくいという考え方です。
また、考古学的な調査からは、条里制の区画に伴って、用排水路の整備など、農地開発に必要なインフラ整備が行われた痕跡が見つかることもあります。これは、条里制が単なる土地管理の枠組みではなく、実際に耕作可能な面積を増やし、収穫量を向上させるための積極的な開発事業であった可能性を示唆しています。近年の研究では、特定の地域において、条里制の導入が農地の拡大や集落の形成と並行して進んだ可能性が指摘されています。この見方からは、条里制は律令国家による土地支配というよりは、食料生産の安定化と拡大を目指した、より実質的な経済政策としての側面が強かったと解釈されます。
各解釈の比較と異なる視点が生じる背景
上記で提示した二つの解釈は、条里制という一つの事象に対する異なる側面を捉えています。律令支配の基盤とする解釈は、国家の管理・統制という政治・制度的な側面に重点を置いており、班田収授法や関連史料の分析を主な根拠としています。一方、計画的な農地開発とする解釈は、土地の開発や生産という経済・実態的な側面に注目しており、考古学的な成果や地域史の研究、現代の地形との照合などを重要な根拠としています。
なぜこのような異なる解釈が生じるのでしょうか。その背景には、条里制に関する史料が断片的であること、また考古学的な調査が地域によって進捗が異なることなどが挙げられます。限られた史料や遺構から、古代国家の複雑な意図や社会の実態を完全に読み取ることは難しく、研究者それぞれの関心や着眼点、分析方法によって、重視する側面や導き出される結論が異なってくるのです。
また、条里制が施行された期間は比較的長く、地域によっても状況が異なった可能性があります。初期の条里制は律令支配の確立を主眼としていたかもしれないし、後代には開発促進の意味合いが強まった地域があったのかもしれません。あるいは、地域の実情に合わせて両方の目的が複合的に絡み合っていたのかもしれません。単一の目的や実態を想定するのではなく、多様な可能性を考慮することで、より深く条里制を理解する道が開かれるでしょう。
まとめ:多様な視点が歴史理解を豊かにする
古代の条里制を巡るこれらの異なる解釈は、一つの歴史的事実や制度であっても、多様な視点から考察することがいかに重要であるかを示しています。史料や研究成果を読み解く際には、それがどのような根拠に基づいているのか、どのような側面に光を当てているのかを意識することが大切です。
律令国家の土地支配という視点、農地開発という視点、あるいは時期や地域による違いといった様々な角度から条里制を捉え直すことで、古代日本の社会構造や人々の暮らし、国家と民衆の関係性について、より豊かで多層的な理解を深めることができるでしょう。歴史を学ぶ上で、一つの解釈に囚われず、常に多様な視点から問いを立てる姿勢が、新たな発見や深い洞察へとつながると言えます。