室町時代の「ばさら」、その実像に迫る:自由奔放な風潮か、権威失墜の表れか、その多様な解釈
室町時代の「ばさら」とは何か? 多様な解釈に迫る
室町時代、特に南北朝の動乱期において、「ばさら」という言葉が当時の社会風潮や人々の行動を表す言葉として用いられました。この「ばさら」という言葉は、現代においても様々な文脈で使われることがありますが、歴史上の現象としての「ばさら」が具体的に何を指し、どのような意味を持っていたのかについては、複数の異なる解釈が存在します。
異なる解釈の提示:自由奔放な風潮か、権威失墜の表れか
「ばさら」に関する主要な解釈としては、大きく二つの見方が挙げられます。一つは、当時の社会や既存の権威・秩序に対する反抗や挑発、あるいは新しい価値観の萌芽としての「自由奔放な気風や美意識」と捉える見方です。もう一つは、南北朝の混乱期という特殊な状況下での「旧来の秩序や権威の崩壊、社会不安の表れ」と捉える見方です。これらの解釈は、同じ時代の史料や出来事に基づきながらも、異なる側面に光を当てています。
解釈1:自由奔放な気風と新しい美意識の表現
この解釈は、「ばさら」を既存の権威や慣習にとらわれない、大胆で革新的な気風や美意識の表現と捉えます。その根拠としてよく挙げられるのが、軍記物語である『太平記』の記述です。
『太平記』には、佐々木道誉(高氏)や土岐頼遠といった守護大名が、「ばさら」な振る舞いを見せたとする描写が登場します。例えば、佐々木道誉が華美な衣装をまとい、公家の行列に割り込むといった逸話や、土岐頼遠が清涼殿の前で狼藉を働くといった記述が知られています。これらの描写からは、当時の有力武士たちが、伝統的な公家文化や格式ばった儀礼にとらわれず、自身の権力や財力を背景に、派手で奔放な行動をとる様子が読み取れます。
この見方によれば、「ばさら」は単なる乱暴狼藉ではなく、むしろ旧来の価値観に縛られない新しい時代の到来を予感させるような、型破りなエネルギーや審美眼の表現であったとも解釈できます。公家文化とは異なる、武家社会や庶民の間から生まれてきた新しい文化や流行(例えば、豪華な連歌会や茶会、派手な建築様式など)との関連性を指摘する研究者もいます。当時の記録に見られる、身分不相応な贅沢や奇抜な装いなども、「ばさら」という気風の一部として捉えられることがあります。
解釈2:権威失墜と社会不安に起因する秩序の弛緩
一方、もう一つの解釈は、「ばさら」を南北朝の動乱によって既存の政治体制や社会秩序が大きく揺らぎ、人々の規範意識が弛緩した状況下で生まれた現象と捉えます。この見方では、「ばさら」な振る舞いは、必ずしも積極的な新しい価値創造ではなく、むしろ世の乱れや先行き不安の中で生じた、モラルハザードや享楽的な傾向の表れであると考えられます。
根拠としては、やはり『太平記』などに記された「ばさら」な行動が、多くの場合、既存の権威(朝廷や幕府)に対する反抗や挑発として描かれている点です。これは、当時の室町幕府がまだ足場を固めきれておらず、各地の守護大名や武士たちが独自に勢力を伸ばし、中央の統制が及びにくかったという社会情勢と結びつけて考えられます。荘園制の解体が進み、地縁的な共同体や旧来の社会関係が崩れゆく中で、身分や家柄といった従来のヒエラルキーが相対化され、実力や財力が物を言う風潮が強まったことも、「ばさら」的な行動を誘発した背景にあると推測されます。
この解釈では、「ばさら」は旧秩序の破壊や権威の失墜といった側面が強調され、必ずしもポジティブな変化とは見なされません。むしろ、時代が大きく変動し、人々が旧来の価値観を見失う中で生まれた、刹那的な行動や退廃的な雰囲気の一部として捉えられることがあります。
各解釈の比較と違いが生じる背景
これらの二つの解釈は、「ばさら」という一つの現象を、それぞれ異なる側面から捉えています。前者が「新しいエネルギーや美意識」に注目するのに対し、後者は「秩序の崩壊や社会不安」に重点を置いています。
違いが生じる背景には、まず「ばさら」という言葉自体が、当時の史料において必ずしも明確に定義されているわけではなく、否定的なニュアンス(狼藉、乱心)で使われることもあれば、単に「派手な様子」を指す場合もあるなど、多義的な性格を持っていることが挙げられます。
また、『太平記』のような軍記物語は、文学作品としての側面も強く、史実を正確に記録することのみを目的としているわけではありません。物語の劇的な効果を高めるために、「ばさら」な行動が誇張されて描写されている可能性も考慮する必要があります。
さらに、歴史家の史観によっても解釈は異なります。社会の変化を前向きなエネルギーや新しい文化の萌芽として捉えようとする視点からは、解釈1のような側面が強調される傾向があります。一方、秩序の維持や社会の安定を重視する視点からは、解釈2のような側面がより注目されるかもしれません。近年の研究では、「ばさら」が単一の現象ではなく、多様な行動や意識の集合体であり、一面的に捉えるべきではないという見方も有力視されています。
多様な視点から歴史を理解する意義
室町時代の「ばさら」という現象に対するこれらの異なる解釈は、歴史上の特定の出来事や言葉が持つ意味を理解する上で、一つの史料や情報源に依拠するだけでは不十分であることを示唆しています。同じ時代の記録を参照しても、どの側面に注目し、どのような背景と結びつけて解釈するかによって、その様相は大きく変わり得ます。
多様な史料や研究成果に触れ、異なる解釈が存在することを知り、それぞれの根拠を比較検討することは、歴史をより深く多角的に理解するために不可欠です。「ばさら」という言葉の背後に、単なる乱暴者ではない、多様な価値観や時代のエネルギー、あるいは社会の歪みといった様々な側面があったことを認識することは、室町時代という複雑な時代を理解する上で重要な視点を提供してくれるでしょう。一つの見方に囚われず、常に複数の視点から歴史上の事象を見つめることの価値を改めて感じさせてくれます。