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大政奉還における徳川慶喜の真意:政権返上か、徳川主導の継続か、その解釈の多様性

Tags: 大政奉還, 徳川慶喜, 幕末, 明治維新, 日本史

大政奉還、徳川慶喜の「真意」を巡る視点

幕末の動乱期において、江戸幕府第十五代将軍徳川慶喜が行った大政奉還は、日本の歴史において極めて重要な出来事と位置づけられています。これは、260年以上にわたり続いてきた武家政権が、天皇に政権を返上するという画期的なものでした。しかし、この大政奉還を主導した徳川慶喜が、本当に将軍として政権を完全に手放すつもりだったのか、それとも別の思惑があったのか、その「真意」については様々な解釈が存在します。

一つの史料や出来事であっても、当時の政治状況や関係者の思惑、その後の歴史展開など、どのような側面に光を当てるかによって、全く異なる見え方をしてくることがあります。ここでは、大政奉還における徳川慶喜の真意について提示されている複数の解釈と、それぞれの根拠について比較しながら見ていきたいと思います。

解釈1:薩長への対抗と公議政体での主導権維持を狙ったもの

まず一つ目の解釈は、徳川慶喜は大政奉還によって武力倒幕を目指す薩摩藩や長州藩(いわゆる薩長)の動きを牽制し、新たな政治体制である「公議政体」において、徳川家が依然として実質的な主導権を握ることを意図していた、という見方です。

この解釈の根拠としては、慶喜が朝廷に提出した大政奉還の上表文の内容が挙げられます。上表文には、政権を天皇に返上することとともに、「列侯会議を以テ(もって)広ク天下ノ公論ヲ採リ」政治を行うべきである、と記されていました。この「列侯会議」とは、有力な諸大名が集まって政治を決定する場を指しており、この会議において、依然として広大な直轄地や多くの大名を支配下に置いていた徳川家が発言力を持つことで、新体制でも影響力を維持できると考えた、という見方です。

また、当時の薩長による武力倒幕の動きが差し迫っていた状況において、慶喜が先手を打って政権返上という形で恭順の姿勢を示すことで、倒幕の大義名分を失わせようとした、という側面も指摘されています。さらに、大政奉還後に徳川家が独自に軍事力を強化し、朝廷内で影響力を拡大しようとする動きが見られたことも、慶喜が完全に権力を手放すつもりはなかったことの傍証として挙げられることがあります。

解釈2:内政の行き詰まりと時代の流れを見据えた「政権返上」であった

これに対し、二つ目の解釈は、徳川慶喜は当時の幕府が抱える内政の行き詰まりや、国際情勢の変化といった時代の大きな流れを認識しており、もはや幕府体制では国家を維持できないと考え、真に政権を天皇に返上することを意図していた、という見方です。

この解釈の根拠となるのは、やはり大政奉還の上表文に記された「宇内(うだい)ノ形勢(けいせい)」「外国ノ交際(こうさい)日ニ盛ナル」といった言葉に示される、慶喜の当時の国際情勢認識です。開国後、幕府は外国との対応に苦慮し、財政も悪化していました。慶喜は、もはや一武家である幕府では、これらの難局を乗り越えられないと判断し、より権威のある天皇のもとに国家権力を集中させる必要があると考えた、と解釈するのです。

また、上表文には「政権ヲ奉還シ」「天下ノ公論ヲ採リ」「聖断(せいだん)ヲ仰(あお)ギ」など、天皇を中心とした新たな体制への移行を示唆する言葉が並んでいます。これを額面通りに受け取り、慶喜が時代の変化に柔軟に対応し、内乱を避けつつ日本の近代化を進めるために、自ら将軍の地位と政権を手放す決断をしたのだ、と見ることも可能です。

異なる解釈が生まれる背景

このように、大政奉還における徳川慶喜の真意については、大きく分けて二つの異なる解釈が存在します。なぜこのような違いが生まれるのでしょうか。

それは、どの史料や状況に最も重きを置くか、そして慶喜という人物をどのように評価するか、といった視点の違いに起因すると考えられます。

例えば、解釈1は、大政奉還という出来事単体だけでなく、それ以前の薩長の動きや、大政奉還後の徳川側の行動(鳥羽・伏見の戦いへの経緯など)まで含めて、一連の流れの中で慶喜の行動を評価しようとします。慶喜の政治家としての戦略性や、徳川家存続への執着といった側面に注目すると、政権返上はあくまで戦略的な一手であり、実権維持が目的だった、と見えやすくなります。

一方、解釈2は、主に大政奉還の上表文の内容そのものに注目し、そこに示された慶喜の国際情勢や内政への認識、そして天皇への政権返上という形式を重視します。慶喜の思想的な側面や、時代の変革者としての側面を強調すると、大政奉還は時代の要請に応じた英断であり、真の政権移譲を意図したものである、と捉えやすくなるでしょう。

どちらの解釈も、当時の状況や史料に基づいた根拠を持っていますが、それぞれの解釈が強調する側面が異なるため、慶喜の真意に対する見解も異なってくるのです。

多様な視点から歴史を理解する

大政奉還における徳川慶喜の真意は、歴史学において今なお議論されるテーマの一つです。政権返上という形式的な側面だけを見るか、その裏にある政治的な思惑や、その後の行動まで含めて評価するかによって、慶喜の意図に対する見方は大きく変わります。

歴史上の出来事や人物に対する解釈は、一つだけが「正しい」とは限りません。一つの史料や事実であっても、異なる角度から光を当てることで、多様な側面が浮かび上がってきます。複数の異なる解釈が存在することを認識し、それぞれの根拠を比較検証することで、私たちは歴史をより深く、多角的に理解することができるようになります。

大政奉還という歴史的な転換点に関わった徳川慶喜の真意についても、ここで紹介した解釈以外にも様々な見方があることでしょう。多様な視点に触れることが、歴史の面白さをさらに広げてくれるものと考えられます。